レオは友達に付き合って、大学近くの書店に来ていた。友達はファッション雑誌をあさり始める。そのコーナーは混雑していたので、レオは別の場所で時間を潰すことにした。ふと通ったコーナー見ると、リンクスが表紙の雑誌を見つけた。少し悩んで人もあまりいなかったので、読んでみることにした。
初めてメンバー全員の顔を見た。テンはバンドのボーカルとあって、やはり一番いい顔をしていた。ボーカルだからか、他のメンバーよりも少し前に出て映っていた。
開いてみると新曲を出すらしく、個々のインタビューが載っていた。テンはソロもやっていたので、ソロについてやバンドについても語っていた。ミュージシャンとして顔を初めて見たので、レオはおかしくなって口に笑みを作ってしまった。自分の変化に気づいてすぐに顔を引き締めるが、やはりおかしくて笑いそうになる。今までテンは音楽しか見ていなかった。そして人として見て、今度は芸能人として見ている。ポーズを取って映っている彼に笑いは止まらなかった。
そこでレオはある箇所に目を奪われた。開けたシャツの間から見えるネックレス。ハートの形をしていた。思わず縫い止めていた口を開けた。そのネックレスには見覚えがあったからだ。
それはテンと初めてあった時にリングと交換したものだった。アクセサリーを集める趣味があるレオの所持品を物色し、欲しいとねだってきたのでテンのリングと交換した。それをテンは雑誌の撮影で胸元につけていた。
ハートのネックレスはレオが高校生の時に購入したものだ。雑貨屋で高校生のレオには
高い買い物だった。しかし、テンにとっては限りなく安物で、とても雑誌の撮影に身につけていいような代物じゃない。
レオは雑誌を持ったまま固まった。
「雑誌買ってきたよ。レオもそれ買うの? 珍しい」
「あ、あ、うん。買おうかな」
購入を終えた友達に声をかけられ、レオは頷いていた。
「あーリンクスじゃん。そういえばレオ好きだったよねえ。テン、マジかっこいいし」
「うん。そうだね」
レオは相槌を打ちながら、財布を出そうとカバンを探った。その時にパーカーの下に潜んでいたネックレスが顔を出した。
「今日そんなのつけてたんだ? それ新しくない?」
気づいた友達が言った。
「新しいっちゃ新しいかな」
「デザインかっこいい。どこの?」
「どこだっけ? 貰いものだから分かんないや」
「てか、何か高そ……」
彼女は胸元に揺れるネックレスと手に取っていった。細身のリングに茨が描かれ中央には黒い石がはめられているものだった。
「これリングじゃないの?」
「ぶかぶかだったからネックレスにしたんだ」
レオが答えると、友達の顔が嬉しそうに笑みを作った。
「男から?」
「じゃうちこれ買ってくる」
後ろで文句を言いながらついてくる友達を無視して会計に向かった。
※
休憩をしているところにアキヒコがやってきた。
「お疲れ」
「おう」
テンが気づいて声をかけると、アキヒコは手を挙げて応えた。缶コーヒーを持って隣に座る。アキヒコがプルタブを起こす音を聞きながら、口に煙草を運んだ。
「あれ最近つけてねえな」
「ん?」
「一目惚れして買った茨のリング。気に入ったって言ってたじゃん」
「ああ、あれね。まあちょっと」
「代わりにそれよくつけてんよなあ」
アキヒコは缶を持ったまま、テンの胸元を指差した。テンは指された物体を指で触れた。その輪郭を確かめるようになぞる。
「ハートとか珍しいじゃん。どこのブランド?」
「さあ貰いものだから知らない」
「貰いもの? 誰から?」
尋ねられてテンはどう答えればいいか悩んだ。まさか女子大生に貰ったとは言えない。正確には交換だが。
「お、もしかして女か?」
アキヒコの感は鋭い。意気揚々と質問を投げてくる。テンに見えた女の影に興味津々の様子だ。
「レオ君ですよ。新しい飲み仲間」
「ほんとか?」
「ほんと」
「ちえーつまんねえ」
アキヒコは盛大な溜息をついて背もたれに背中を預けた。テンはそれを横目で見ながら、ネックレスと再度触った。
まるで月に惑わされたようにテンは歩いていた。数年も通ることのなかった道を毎日歩いているかのような足取りで。
やがて一つの店に辿り着いた。
「いらっしゃいませ」
客はいなかった。突然の来客にも店員は慌てることなく迎えていた。
テンはドアを閉めて、顔をしかめた。内装はあまり変わらないが、数年前よりもカウンターに立つ人物が若返っていた。
「あれ? マスター若返った?」
「そんなわけないじゃないですか。親父はいい歳になりました。ようやく俺もここに一人で立たしてもらうようになって」
「ああ、ヨウ君。大きくなったねえ。ていうよりも立派になったって言ったほうがいいかな」
「ありがとうございます」
ヨウは苦笑しながらも、素直にお礼を言った。
「随分と久しぶりですね。もうここには来ないと思ってました。今日はどうしてまた?」
「んー特に理由はないよ」
「何ですかそれ」
「しいて言えば」
テンは意味ありげに間を空けた。
「……十三日の金曜日だからかな」
「あはは。相変わらず不思議な人ですね。変わってないようで安心しました」
「それ褒め言葉?」
「もちろん。久しぶりにきてくださって嬉しいです。ゆっくりしていってくださいね。何にしますか?」
口を開こうとした瞬間、ドアが音を立てて開いた。
「こんばんは……ってお客さんがいる。珍しい」
ジャージ姿の小柄な男が入ってきた。目は合ったが、その男の目はすぐにヨウに向かった。
「お前また一人か? たまには誰か連れてこいよ」
「それじゃあ隠れ家の意味ないじゃん。部活上がりだから、お腹空いたよ。とりあえずバーガーとレッドアイをお願いします」
テンと間隔を空けて座り、大きな荷物を床に置いた。見たところ学生だ。素早く全身を見るが、多分男だろう。しかし、中性的な顔をしている。男にしては可愛らしい。そして小柄だ。
「レオ。一人じゃないんだから騒がしくするなよ。テンさんすみません」
「あ、ごめんなさい」
レオと呼ばれた彼はテンの方を向いて、小さく会釈した。
「あの子未成年じゃないよな?」
テンはヨウにこっそり聞いた。レオは首を捻ったりして、こちらの動きには興味がないようだ。
「一応二十歳ですよ。あいつはここの最年少常連です」
「へえ」
乗り出した体を元に戻した。出されたお酒を喉に通して、煙草に火をつけた。灰皿を手元に寄せて、灰を落とした。すっと煙を吐く。
調理を終えたヨウがレオの前にバーガーを出した。
「いただきまーす」
ちゃんと手を合わせて、豪快に口に運んだ。数回咀嚼して、レッドアイを一気に飲んだ。可愛い顔に似合わず随分と男らしい仕草だ。
「あ、レオ。お前テンさんのファンって言ってただろ? 気にならないのか」
グラスを磨いていたヨウはレオのほうに寄り、テンに聞こえないように尋ねた。
「テンって誰?」
「は!」
テン本人に気づかれないように聞いたのに、レオの予想外な発言によりついヨウは大きな声を出してしまった。
「お前好きって言ってただろ?」
「だからテンって誰?」
声はテンの元にも届いた。
「俺のこと?」
「あ、すみません。こいつがファンだって言うから」
「だからテンって誰?」
少し苛々したようにレオが言った。
「ほらリンクスの」
「……あ、ああね。好きだよ。めっちゃ声いいし、音もかっこいいし。でもファンではない」
「レオ!」
ヨウは声を荒げた。レオは疑問を顔に浮かべている。そのやり取りが面白くて、テンはたまらず笑い声を漏らした。
「テンさん、すみません。ほんとこいつ失礼で。この人がリンクスのボーカルテンさんだよ」
「この人があの、いい声で歌う、あの?」
手でテンを示した。
「どうも」
テンは小さく微笑んで見せた。
「へえ」
「へえってそれ以外にないのかよ。ああもう言うんじゃなかった」
ヨウは頭を抱えた。
「あはは。君面白いね。こんな新鮮な反応初めて。俺も自惚れてたかな」
「自惚れていいと思いますよ。あなたの声すごく好きです」
「レオ君だっけ?」
「違います。こいつは―」
「ヨウさん」
音量も調子もすごく落ち着いていたが、その一言はヨウの言葉を止めた。
「どしたの?」
「俺、ほんとはレオンって言うんですよ。ヨウさんには初めて会った時に間違えられてそれが続いてるんです。レオでもレオンでも好きに呼んでください」
「おい。どういうつもりなんだ?」
「テンさん俺には秘密があるんですよ。ヨウさんは知ってます。暴いてみませんか?」
「えー何だろ。本当は未成年とか?」
テンはとりあえず適当に口にした。
「そうだったらヨウさんは飲ませてくれませんよ。存外固い人ですから」
「ほんとは三十路」
「そうだったら面白いですね」
これも違うことを意味している。
「俺に会ったことがある?」
「まさか。今日初めて顔を知りました」
「分からんのう」
テンはすっかり故郷の口調に戻っていた。東京に来てからは従うように標準語になっていた。それに抵抗はなかったし、すんなり受け入れていた。
「当てに来ないで飲みましょうよ。俺、誰かと飲むの久しぶりです」
そう言ってレオはグラスを近づけた。
「乾杯」
その瞳が赤く揺れているように見えた。
プロフィール
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