遠くで音楽が鳴っている。どこかで聞いたような、でも思い出せない。覚醒を強要させるその音にテンは苛々し出した。音のする方向へ手を伸ばし掴んだ。形から携帯だと分かった。確認もしないまま開いて適当にボタンを押すと、その音は止んだ。
伸ばした手がだんだんと冷えていくのを感じ、引っ込めて寝返りを打った。いつもならありえない感触があった。手の横に顔があった。テンはすぐに思い出せた。酒は浴びるほど飲んだが、記憶は失っていなかった。
その寝顔はとても愛らしかった。昨日は気づかなかったが、目を閉じていると長いまつげがはっきりと分かった。化粧をしているわけでもないのに肌白く、テンは手を伸ばしていた。起こさないように指先を滑らす。
「んっ」
レオが小さく唸ったので、さっと手を離した。自分の行動に苦笑する。
完全に目が覚めてしまったものの、ベッドから動くのは気が引けた。起こすのも悪いし、脱いだ衣服が見当たらないので温もりを離したくなかった。
せっかく温もりに癒されていたのに、レオが寝返りを打ったせいで冷気が流れ込んできた。けれど、テンはそんなことよりも意識は別の場所に釘づけになった。
「え……」
開いた口が塞がらない。レオの胸に小さくても確かな膨らみを発見した。思わず手を伸ばすが、触るわけにはいかないので手を止める。
思考が追いついていかない。男だと思って接していた人物の性別が一晩で変わっていたのだ。いや、違う。これがレオの言う秘密。やられたというよりは、とんでもない罪を犯した気分になった。
「ばれちゃいました?」
考え込んでいると、レオの声が聞こえた。
「あーうち寝てる時に脱ぐ癖があるんですよね。またやっちゃった。これじゃさすがにばれる」
淡々とした口調でレオは言った。
「ちょ、君、女?」
「はい。改めまして、西口礼音です。レイとかレオとかレオンって呼ばれてます。家族でもなかなかレイネって呼びませんよ」
彼女は笑うが、テンは笑えない。知らなかったとはいえ、十以上歳離れている異性とベッドで一晩過ごしたのだ。何もないにしろ、罪を犯したような気持ちになる。
「秘密ってそれ?」
「はい。まさか一晩でばれちゃうとは思いませんでしたけど」
レオは何も気にしていないような軽い口調で言う。
「いかん。俺いくつだと思ってんだよ」
「二十代じゃないんですか?」
「もう三十超えた」
「へえ、若々しいですね。まだ全然二十代でもいけますよ」
どうやら直接的に言わないと分からないようだ。テンは大きく溜息を吐いて、レオに向き合った。
「あのな、軽々しく男を家に上げ込むなって言ってんじゃ。何されるか分からんぞ」
「テンさん何かするんですか?」
そんな返しが来るとは思わなかった。怯んで次の言葉が出せなかった。
「うちそういうの興味ないんで大丈夫ですよ」
屈託なく笑う。
「これでもか」
テンは少し苛ついたので、レオをベッドに押し倒した。それでも彼女は表情を変えなかった。唇を奪おうと顔を近づけると、彼女は逃げるように逸らして「ごめんなさい」と呟いた。
「分かればええんやけど。秘密って何かと思えばこれだったのね。まったくひやひやする。こうやって男を軽く部屋に上げたら駄目だよ」
「はーい」
さきほどの謝罪とはまったく声の調子が違った。
「ほんと分かっちょる?」
「はい」
その笑顔に毒気を抜かれてもう何かを言う気にはならなかった。溜息をつきながら手を離して、ベッドの淵に腰をかけた。カーペットの上に脱ぎ散らかった服を見つけたので引き寄せて頭から被った。
「レ……」
テンは何て呼ぼうか悩んだ。女と分かったのに「レオ」と呼ぶのは気が引けた。
「何でもいいですよ」
「じゃあレイネ。いつまでもそんな格好でいちゃ駄目。服着な」
レオの服と思われるものを拾い、渡した。レオは微笑んで、受け取った。
「何か新鮮。レイネってなかなか呼ばれないから」
「それが君の名前でしょ」
「テンさんって不思議な人ですね。ますます好きになりそう」
「は?」
レオはテンの疑問には答えずに、洗面所へ向かった。テンは雲のように掴めない彼女の背中をじっと見つめた。
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