十二月二十四日、今宵はクリスマス・イヴ。
街は大賑わい、そしてここサンタクロース島に住む候補生達も初めての実習に胸を高鳴らせている。実習の内容は「一人の子供に幸福を与えること」。簡単でも難しくもない内容だが、初めての実習ともあって多少の緊張はあった。
それを吹き飛ばすような、元気な生徒が一人。日本人のサンタ候補生のケイト。
「ついにこの日がやってきたな、ジャック」
道具の最終チェックと使い方の確認をしている生徒達がいるという中で、一人トナカイのジャックと陽気に話をしている。羨望と呆れた視線、苛立ちも含んだ生徒の目がちらちらとケイトへ向かっている。あえて見ないようにして、集中している生徒もいる。
「ケイト、静かにしてくれないか。みんな集中しているんだ」
耐えかねた生徒の一人が注意をしにきた。
「これはこれは優等生のアルフォンソ君じゃないですか。不快を与えてしまったようで申し訳ありません。以後気をつけましょう」
胸に手を当て、かしこまった態度でアルに対応する。これはアルを挑発するために作られたものである。
「気持ち悪い。その言い方やめろ」
凄まじい不快感を表情と声に醸し出してアルは言う。
「いえ、優等生のあなたに対する敬意を払っての口調ですよ。お気に召しませんか?」
粘り強いケイトはまだ続ける。
アルは挑発に乗らないように平常心を保つが、いつも粘り続けて勝つのはケイトだった。
「ああ、お気に召さない」
「左様ですか。では、あなたが慣れるように努力をいたしましょう」
「そんな努力は無用だ」
少し声が激しくなってアルはすぐに元に戻す。
「僕が言いたいのは、静かにしてくれってことだけだ」
冷静な口調でそう言って、アルはマントを翻した。
「おや、優秀なアルフォンソ君には予習は必要ないのでは?」
「僕に話しかけるな」
ぴたっと立ち止まり、背を向けたままで言った。
ケイトはアルに歩み寄って、話し続ける。
「あなたならもう準備も暗記も完璧なのではないのですか? ああ、他の生徒の見本になるようにとかですかね。優等生続けるのも大変ですね。心中お察しします」
「うるさい」
アルはどうにか声を荒げないようにケイトの言葉をかわそうとする。
ケイトはもう一息だと確信して一気に言葉を発した。
「最近は学年二番の方が迫ってきているという噂もありますしね。愛しの君もその方に取られそうになっているとか。それは必死になのも裏づけれます。まあ、私には関係ないことですが」
アルの肩が僅かに動いたのを確認した。横顔だからよく分からないが、怒りに震えているだろう。
「それでは長い間引き止めてしまって申し訳ありませんでした。早く戻って生徒達の見本になられるように励んでください。きっと彼女もあなたに釘づけになられることでしょう。私は静かにあなたの姿を拝見しておりますので」
後ろに振り向きながら手を降って去ろうとしたが、アルにフードを引っ張られ、雪に尻餅をついた。
「君は毎度、余計なことを言う! いい加減にしたらどうだ。僕と関わらなくてもいいだろう」
まんまと嵌められて、大声で怒りをケイトにぶつける。
ケイトはこれを見るのが楽しくて仕方ないので、口元がついつい笑ってしまう。そのたびにアルの怒声は強くなる一方だ。
「君は僕の何なんだ? ここまで言われる筋合いはない!」
アルは気づいているのだろうか。今生徒達はおろか教員達の視線まで奪っているということを。
「そうだねえ、友達かな?」
「勝手に決めるな!」
一際アルの声が大きくなった。
「でも、俺達いないだろ友達?」
ケイトの的確な指摘に動きが止まる。痛いところを突っ込まれた、そんな顔をしているのがありありに分かる。
二人は互いに学校一の孤高の優等生と問題児で変わり者だったからだ。ケイトのほうは誰とでも話す、というよりは話しかけるが、アルのほうは話しかけられても一言二言しか話さない。しかも表情は一切変えずに、だ。そんな二人に友達はいるわけがないだろう。
「だ、黙れ!」
「静かにしなさい!」
教員のはきはきとした大きな声で、アルの言葉はかき消された。
アルは我に返って、声の方向に向く。他の生徒達も突然の大声に即座に反応している。ケイトは驚いた様子はなく、通常の顔をしている。
「そろそろ出発します。準備はいいですか? では番号順に並んでください」
全生徒の目が向いているのを確認すると、穏やかな口調になって、教員は続けた。
生徒達はそれに従って一列にソリを移動させている。アルは小声で何か言って、ケイトの服を掴んでいた手を放した。
ケイトは乱れた服を直して列に加わった。
「また、思う存分苛めたな。悪趣味だぜ」
「いい悪趣味だろ?」
「そんなんじゃいつか嫌われるぞ」
「ま、その時はその時だ」
ケイトは軽い調子で言った。
次々に生徒達は下界へ降りていく。ケイトの順番も近づいてきた。アルはとっくに出ている。
「さあて、行きますか。自慢の鼻で頼んだぜ、相棒」
眼鏡をかけ、ケイトは意気込んだ。ジャックは小さく鳴いて、了解の合図を取った。
手綱を振って、ジャックは空へと駆け出す。空を飛ぶ実習は何度かやっているので怖くはない。それよりも高鳴る胸のほうが溢れ出す。
もうすぐ幸福を持って、サンタが街へ降り立つ。
ここは日本のどこか。
日本人のケイトは、必然的に日本での実習になる。もしサンタに任命されたら、日本での仕事になるだろう。候補生達は自分の国で実習することになっている。
「どうだ? 見つかった?」
空を駆けるトナカイに向かって言った。
「北東十五km。瞬間移動のほうが早い」
ジャックは嗅ぎ分けに優れている。ケイトに的確な指示を出した。
「いいや。時間はまだある。のんびり空の旅を楽しもうじゃないか」
「相変わらずのんきな奴。時間いっぱい楽しもうとするなんて、アホのすることだ」
「まあ付き合ってくれよ、相棒さん」
ジャックは後ろを振り向けないが、ケイトは笑っていることが分かっていた。そんな男なのだ。
夜の十二時過ぎだというのに街の光は衰えていなかった。ネオンや街灯が煌々と光っている。近くで見たらその美しさは薄れてしまうが、空から見る光は美しい情景を見せてくれる。
「ここは随分都会だな」
街の様子を見ながら、ケイトは呟いた。
ケイトの生まれ育った場所は、普通の町だ。都会でもないし、過疎化が進んでいる農村でもない。けれど、町の光はこんなに灯ってはいない。
上空から見る初めての景色に好奇心を寄せられていた。
「でも、何か足りない」
眼鏡を外して空を見上げる。
足りないものは雪だ。空から白い粒が舞い降りてきていない。
「これじゃあクリスマスって感じがしねえな」
片手を手綱から放して、黒いケースを開けた。中にはサンタの道具がいくつか入っていた。ケイトはその中のベルを手に取った。
「もう使うのか? 無駄使いは駄目なんじゃ―」
「野暮なこと言うなよ。お前だって見たいだろ」
ジャックの台詞を途中で切って、覆ることのない意思の籠もった言葉を言った。
「はいはい」
ジャックは呆れて容認した。
見とけ、と言って、ケイトはベルを鳴らした。混ざりけのない純粋な鐘の音が空に響き渡る。するとどこからともなく雪が舞い降りてきた。
「そろそろだ。降りるぜ」
ジャックは自慢の鼻で指し示して、ゆっくりと降下していく。
*
今宵はクリスマス・イヴ。
おばあちゃんが帰ってニ時間経った。母親を亡くし、父親が単身赴任をしているので、朝から夜にかけて家事などをしてくれる。けど、食事が終わると帰ってしまう。クリスマス・イヴでも例外じゃない。
少し豪勢な食事だったが、二人で囲む食卓は少し寂しかった。簡単に分別つけることのできる年頃じゃない。父親に向かって、寂しい、などと言えるような子供でもなかった。
「あ、雪」
眠れなかったぼくは、ベッドに寝転がって本を読んでいた。
カーテンを開けると雪がちらつき始め、もういい子はお休み状態。街の明かりは少なかった。
子供部屋の情景が目に浮かぶ。枕元にはサンタさんへの手紙と、大ききな靴下が置かれていることだろう。ぼくの枕元には何もない。部屋にはおばあちゃんが買ってくれた本が一冊。所在なさげに佇んでいる。
ぼくは窓を開け、縁に腰をかけた。
月をバックに何かが見える。それがぼくに近づいてきた。
トナカイ? ソリ? サンタ? ぼくは目を見開いて、思わず叫び声を出しそうになった。
彼らはぼくの目の前で止まると、顔を近づけてじっくりと見てきた。
「おい、ケイト。こいつ見えてるぜ」
喋るトナカイ。珍獣発見だ。
「え、マジ? 初実習で会えるとは、俺もついてるねえ。日頃の行いがいいからかな」
ぼくを無視して会話をする、一人と一頭。
これが、サンタ? ぼくは思った。いやいや、何かのトリックかもしれないし、それにこんな若くて軽薄そうなサンタ見たことがない。髪は染めてるし、ピアスもつけている。加えてサンタの格好が、普通で見るようなものと全然違う。
「ねえ、君。俺らのこと見えるんでしょ?」
トナカイにケイトと呼ばれたサンタがぼくに話しかける。
いまいち状況をうまく掴めないぼくは、こくこくと頷いた。夢でも見てるのか? ぼくは眼前に映し出される存在に疑心暗鬼だ。
「『これが、サンタ?』って思ったでしょ? 残念ながら、そうなんだよね」
笑みを絶やさずに、ケイトはそう言う。
ぼくは息を飲んだ。状況を受け入れよう。落ち着け、太一。
「お兄さんはほんとにサンタ?」
「格好見て分かんないかな」
その格好で、分かれというほうが、無理難題だ。だけど、ケイトは平然と言う。
「ふーん。サンタってほんとにいるんだ」
ぼくはまだ信じ切れてはいないけど、納得した素振りを見せた。
「まあ、君が信じていまいがいようが、どうでもいいんだけど、ジャックの鼻に引っかかっちゃったからね。何かほしいものはない?」
そうケイトが言うと、ジャックという名のトナカイはふんと、迷惑そうに鼻を鳴らした。
「さあさあ」
ケイトはどこからか紙とペンを取り出し、書く準備をしている。
「ぼくにほしいものは、ないよ」
「ほんとに?」
ケイトはまだ疑ってる様子だ。ぼくは「ほんとだよ」と答えた。その答えを聞いて、ケイトは少し困ったような表情を見せた。
「何でもいいから、言ってみてよ」
「おい。それじゃあ課題にならねえだろ」
苛立っている顔のケイトから、横やりが入れられた。
さっきは初実習? 今は課題? 何のこと? まるで学校の授業の時に言われるような単語ばかりだ。ぼくの頭でそれらが巡る。
「でも、今から探すの面倒じゃないか? まったくお前はこういう時だけ常識人なんだから」
ケイトは白けた声でトナカイに文句を言う。
「ねえ、君。ほんとに何もない?」
ケイトは顔を凄んでみで、ぼくに問いかけた。きっと最終手段なんだろう。多少強引なところがある。
「ぼくなんかより、プレゼントをほしい人はたくさんいるさ。お父さんからはちゃんとプレゼントもらったし、だからぼくは幸せなんだ。そんなぼくにあげるのは、勿体ないよ」
ぼくは精一杯強がって、笑顔を作った。
「そ、じゃあバイバイ」
ケイトは以外にもあっさり引いた。トナカイは登場した時から、怒ってるような顔は崩さず、素早く進路変更して、去っていった。
*
「どうすんだよ。もう時間ねえぜ」
ジャックは鼻で、新たな匂いを嗅いでいた。
「それより、どう思う?」
「何がだ」
「あの子のことだよ。だってあの時間ならまだ大人は起きてるだろ。なのに、あの子の部屋以外どこも電気がついていなかった。仕事にしては、もう帰っててもいいはずだ。これは何かあるな」
「ケイト、何を考えてる?」
にやりと笑うケイトの怪しげな笑みに何か感じ取ったのか、ジャックは聞いた。
「お前なら分かってくれてるんじゃないか?」
「冗談よせよ。あのガキはいいって言ったんだ。面倒事に首突っ込むな」
「それは、お前が俺の相棒になった時点で、諦めておくべきことだよ」
ケイトは楽しげに笑う。
ジャックの顔が怒りを僅かに残しながら、落胆を示していた。
*
時刻はもう十二時を回っていた。
ぼくはケイト達を見送って、布団に潜っていた。
なぜだか分からないが、寂しさが込み上げてくる。あんな強がった台詞を言ったからだろうか。
父さんからプレゼント貰ったなど嘘をついて、幸せだなんてほんとは思ってなんかいない。寂しさが募る一方だ。
涙が一筋こぼれた。
「クリスマスなんて、なくていいのに」
ぼくはそう呟いた。
突然、風が舞い込んでくる。カーテンが大きく揺れ、先ほど見た姿がまた現れた。
「そんなの嫌だね」
ケイトがソリの上に立って笑っている。
「泣いてた?」
ケイトはぼくの頬に視線を落とし、優しい声で言った。
ぼくは涙を拭って「泣いてない」と、胸を張った。
「何しに来たの? 忘れ物?」
「ああ、忘れ物を取りにきた」
ケイトが頷くと、チャイム音が鳴り響いた。
こんな時間に誰だろう? ぼくはケイトをおいて、急いで玄関に行った。
相手の姿も確認せずにドアを開けると、父さんが立っていた。ぼくは声も出ず、体も動かず、呆然とその姿を見上げる。何も持たずに、髪もぼさぼさ、目には隈ができている。
「と、父さん?」
夢でも見ているのかと、ぼくは声を震わせた。
「太一。お前起きていて大丈夫なのか?」
質問の意味が分からない。
「熱出して、俺をうわごとで呼んでるって母さんから連絡があったんだが」
父さんはぼくを上から下まで見る。そんな様子ではないのは、人目で分かる。
「おばあちゃんなら、今日も普通に帰ったよ。それにぼく熱なんか出てないし」
「そうか」
父さんは目を細めて、安心したような微笑みを浮かべた。
声が聞こえた、気がした。ぼくの背中を押すような。
「父さん、今日は何の日か覚えてる?」
ぼくは父さんのコートの裾を握りしめた。
「クリスマスだよ」
ぼくが言うと、父さんは辺りをきょろきょろ見回した。
「あ、プレゼントか? 悪い、急いでたから持ってきてないんだ。今度買ってくるから」
父さんは戸惑いながら言った。
「違う!」
ぼくは深夜だということを忘れて、大声を出した。
「奨?」
「寂しかったんだ、ずっと。誰にも言えなかったけどずっとずっと寂しかったんだ。プレゼントなんかいらない。ぼくは父さんにいてほしいんだ」
ぼくは俯きながら、長年抱えてきた思いを告げた。 父さんがぼくに手を触れた。「ご、ごめん。こんなこと言っちゃって、ぼく馬鹿みたいだ」 ぼくが溢れた涙を止めようとしたところを父さんは止め、「馬鹿なのは父さんのほうだ」と言い、膝をついて僕を抱きしめた。
「ごめんな、気づかなくて。ずっと寂しかったんだな」
父さんの顔は見えなかったけど、きっと泣いている。次第にぼくを抱きしめる力が強くなった。
「父さん、痛い」
「ごめんな。ごめんな」
何度も何度も言う。
「謝るぐらいなら、側にいてよ」
ためらうことはもうなかった。今日ぐらいは子供になろう。
「ああ、側にいる」
二人で泣きながら眠りについた。
ぼくは窓がノックされる音で目を覚ました。父さんは起きていない。
窓のほうを見るとケイトがいた。ぼくは立ち上がり、窓を開けた。
「忘れ物はどうしたの?」
「ちゃんと持ってるさ」
ケイトが満足そうに笑った。
「ねえ、ぼくもあなたみたいになれるかな?」
去っていこうとするケイトに向かって、ぼくは訊ねた。
「なれるさ。君には素質があるからね。時が来れば」
「そっか」
ぼくは軽く微笑みながら言った。
トナカイのジャックが早く帰ろうと促している。ケイトはそれを宥めながら、ぼくのほうに振り返った。
「最後に一つ。今の気分は?」
マイクをつきつけるように、返答を求めた。
「ちょー幸せ!」
「Merry Christmas.」
丁寧な発音でそう言うと、急加速して去っていった。
街には雪が降っている。けれど、心は温かい。ぼくの隣で眠る父さんは、もしかするとサンタの贈り物かもしれない。それは靴下に入りきらない、特大の。
*
島に戻ったケイトは、教官ら「減点、補習、罰則」を言い渡された。
「馬鹿だな、君も。時間オーバーに。洋紙の未使用」
寮に戻ったケイトに罵声を浴びせるのは、優等生のアルフォンソだ。
「でも、気分はいい」
まったく堪えていないケイトは、平然とそう言った。
「ていうか、お前は俺をそんなことを言うために待っててくれてたの?」
それもそうだ。もうとっくに就寝時間は過ぎている。寝室へと繋がる談話室で暖炉を炊いて、起きている人物なんて普通いない。
「そんなわけないだろう。眠れなくて、本を読んでいただけだ」
アルはきっぱりと否定をする。確かに本は机の上に置いてある。
「つれないね。素直に待ってたっていえばいいのに。俺のことが心配だったんだろ?」
「そんなわけあるか!」
大きな声を出したアルの口を、指一本で防ぐ。
「しー。もう深夜だぜ」
ケイトが小声で言うと、落ち着いたアルはその指を払う。
「もう僕は寝る」
「まあ、待てよ。今日はクリスマスだぜ」
そう言って、ケイトは箱を上に持ち上げた。
「何だそれは?」
「クリスマスケーキ」
「一人で食べていろ」
即言い放ったアルは、後ろを振り向く。
「そんなこと言うなよ。お前の分もあるんだぜ。せっかくうまいとこで買ってきたのに、早くしないと溶けちゃう」
同情を乞うような声で、アルを誘う。
「な、食べよう」
ソファに座り、ケーキを広げ、紅茶を入れた。準備は万端で、アルを無理矢理でも席に着かせようという魂胆だ。
「仕方ないな。今日だけだぞ」
これぞクリスマスの効力。聞き分けの悪い子供でも、納得をさせてしまうことができるのだ。
アルがサンタの乗ったアイスケーキにフォークを刺しているのを見ながら、ケイトはしてやったりという表情をこっそりした。
街はまだ夜に浸かっている。子供達は深い眠りについている。枕元に置かれたプレゼントを見るのは、まだもう少し先。