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宝物箱

 ぼくらは新しいものに触れるたび、姿や形を変えてゆく。
 好きだったものが好きではなくなったり、必要だったものが必要性をなくしたり。そして、過去を振り返る。大切だった理由が思い出せなくなる。

 これはぼくがぼくであった頃のお話。

「惟吹(いぶき)、何やってんの?」
 埃まみれの蔵。惟吹の秘密基地。
 健史(けんし)は梯子をのぼり、顔を出した。
「健史、駄目じゃんここに入ってきちゃ」
「お前。久しぶりに会った知り合いに言う台詞か、それ?」
 軽い息切れと、額や首を流れる汗。
「ここはじいちゃんとぼくの秘密基地なんだからさ」
 いたずらっぽく笑い、何か箱をいじりながら言った。
「まあ、健史ならじいいちゃんも許すよ。入っていいよ」
 惟吹ははしごから床に体をもたれていた健史に手招きをした。健史はじいちゃんと言うワードに反応した。
 惟吹のじいちゃんが亡くなって、健史は惟吹の母親と親戚が話しているのを聞いた。惟吹は元々おじいちゃんっ子ではなかったのだけれど、いや、今でもそうではないのだが、じいちゃんが死んでから、やたらその名前を口にするようになった。
 二人の間には何があったのだろう?
「なあ、じいちゃんとの秘密基地って何?」
 健史は抱えた疑問を惟吹に聞いた。
「じいちゃんが死ぬ前、ぼくにここをくれるって約束したんだ。ほら、鍵だって一つしかない。もう一個はじいちゃんの仏壇にあるんだ」
「なくしたらどうするんだ?」
 寝転がっていた健史は起き上がって言った。
「そのときは、永遠になるかな」「永遠、ね」
 健史が咳き込んだ。さっきから少しずつ鼻をすすっていた。
「ほこり、駄目なんだ? ぼくの部屋行こっか」
 惟吹は健史を押すように外へ出し、カギを閉めた。
「あ、そうそう。ラムネ、途中で買ってきた。おばさんが冷蔵庫に入れたと思う」
「分かった。取ってくる。先上がってて」
 健史は二階へ上がり、惟吹は冷蔵庫のある部屋に行った。
 健史は部屋に入ると扇風機をつけ、さっそく寝転がった。風水がチリンチリンと音を鳴らす。外では蝉が鳴く。
 まぶたがだんだん重くなって、意識が遠のいていった。
 ぴたっと肌に何かが当たった。
「起きた?」
 惟吹は顔を覗き込み、アイスを額に乗せて健史を起こした。
「ああ、起きた」
 ぼうっとする頭を起こしながら、健史は答えた。
「相変わらず暑さに弱いんだね。これ、母さんが食べなさいって」
「どうも」
 健史は袋をやぶり、大口でアイスにかじりついた。
「おまえさ、さっき何いじってたの」
「宝物箱」
「宝物箱。何か懐かしい響きだな。じゃあ、あれも入ってんのか?」
「あれって?」
「砂時計。お前昔大事そうにしてただろ」
「入ってるよ。持ってこよっか?」
 惟吹は健史の答えを待たずに部屋を出た。惟吹が楽しそうに階段を駆け下りる音が聞こえた。
 一人部屋に残された健史はラムネを開け、一気に飲みほした。喉がかーとなる。空になったビンをのぞき、ビー玉を中で転がした。
 数分後、惟吹は戻ってきた。
「随分とあるな」
「まあね」
 少し間を置いて、惟吹は続けた。
「ぼくさ、宝物箱って、宝物だったものを入れておくものなんだと思うんだ。何てゆうか、きれいなものはそのままの形で残しておきたいんだ。宝物じゃなくなったものって、捨てられる運命じゃん? だから、ぼくじゃないぼくが壊したりしたらやだから。いつかぼくはぼくじゃなくなる。これを開けても、もうぼくではないから宝物に対して、何も思わないんだろうなあ」
「そう、かもな」
 健史はよく分からないまま頷いた。
「それ、貰ってもいい?」
 惟吹は空になったラムネの中に入っているビー玉を指差した。
「ビー玉ってさ、市販のやつは純粋じゃないだって。ラムネの中に入ってるのは、透き通っててきれいだ」
 そしていつかきれいだと思う気持ちさえも変わっていくんだ、と惟吹は呟いた。
 ビンから取り出したビー玉を太陽に当てた。

 夏の終わり、秘密基地が燃えた。
 宝物も失われた。だが、永遠にきれいなままで思い出になった。
「これで良かったんだ。ぼくがぼくじゃないものに壊されなくて」
 惟吹は後に健史にそう話した。

 ぼくはおれへと変わっていった。
 あの頃のぼくはもういない。
 大切と思うものも、姿・形を変えていった。
 蔵の焼け跡にはもう何も残っていない。
 久しぶりに訪れた惟吹は、あの焼け跡の周囲を歩いた。
 夏の太陽が何かを照らした。
 キラキラと輝くその正体は、ぼくがまだぼくだったころ宝物だったラムネのビー玉だった。ぼくがまだぼくだったころの思い出はきれいなまま、炎と共に形をなくした。
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