僕は僕によく似た彼女を知っていた。多分彼女は僕と違う次元に生きている。けれど他人とは思えない繋がりが僕と彼女の間にあった。
性別は違う。それ以外のすべてが彼女と共通している。生まれた場所、育った環境、歩んだ経歴、両親、兄弟、友達、同じものを彼女は持っていた。加えて好むものも同じだった。音楽も映画も本も服装も、好きになる人も同じような性格の人だった。同じ考えを持って行動し、同じ目で世界を見ていた。喜び方も悲しみ方も苦しみ方も怒り方も、傷つき方も傷つける方も同じだった。
時々彼女がこっちを見ているような気がしたが、それは気のせいだった。
僕は笑う。ふと彼女の映像がよぎった。彼女も僕と同じように笑っていた。ごく自然な笑顔に見えたが、僕には違って見えた。作られた笑顔を彼女は振りまいていた。作られた明るさに作られた笑顔、作られた悲しみ方を彼女はしていた。まるで台本に書かれたことを演じているようだ。そこに本物はない。僕も同じだった。
僕と同じ人間と話している。そこまで同じなのだからもう彼女は僕自身だった。
部屋に入った途端、彼女の顔から色が消えた。同じく僕の顔から色が消える。鏡を映った自分を見て、無理矢理笑顔を作った。虚しくなってやめた。
僕はベッドに寝転び、目をきつく閉じた。頭の中に想像ができあがる。偽り続けた自分を解放する。これまで内に溜めていた怒り悲しみ憎しみをすべてぶつける。僕はナイフを振り上げる。怯える顔が見えた。そこで目を見開いた。彼女も同じく目を見開いた。またやってしまったと後悔する。しかし拭えない。どこか心の中で望んでいるからだろう。彼女もたま同じだ。
夜は寝ることが恐怖だった。明日が恐怖だった。明日また同じように笑顔を作り、悲しみ方を作り、怒り方を作る。すべて作る。行動も表情もすべて作る。なぜだろうか。それは自分を社会に適合するためだ。そうしていればもうはみ出さずに済む。そうすればもう一人にならなくて済む。
そんなはずだった。
当たり前を手に入れる。そんな思いがあって僕も彼女もこの土地に来た。始めはよかった。すべてが輝いていた。それがふとしたできごとから徐々に崩れ始めた。今ではこの有様だった。昔よりひどくなっていた。
人に疑念を持つようになった。向けられる優しさも信じることができなくなっていた。すべての言動に裏があるかもしれないと考えるようになっていた。それを自覚すればもう僕は自分という存在を隠すしかなかった。
別の誰かを演じるようになった。高校時代の知り合いが聞いたら驚くほど僕は明るい人間になった。それがこの土地では当たり前になった。そんな自分でしかこの土地では認められなくなっていた。 感情が希薄になっていく。悲しみも苦しみも痛みも僕にはどんなものか分からなくなった。確かめるように僕は手首を切っていた。それが日常的になり僕の手首には無数の痕が残っている。彼女にもその痕が痛々しくあり、僕がその痕を見つめれば彼女も同じく見つめた。目を細めて歯を食いしばる。やめたくてもやめられない。僕と彼女は激しく憤っていた。
どんな痛みも部屋に持ち帰った。誰にも見せなかった。
現実のような夢だった。こんなにも長く彼女を見ていたのは初めてだった。
彼女はいつものように仲間と話をしていた。何を言われたのか分からないが、彼女の表情はひどく冷たくなっていた。作られた表情じゃなかった。本物だった。
仲間に何かを言っている。感情的なのに冷静に言葉を紡いでいた。仲間の顔が驚き変わる。彼女はそれを見て低く笑った。
ポケットからナイフを取り出す。僕は願うようにその光景を見ていた。僕の一番嫌いな人間にナイフを向けたからだ。何度も殺したい、死んでくれと願った彼だ。どうせ夢なのだから殺してしまえと僕は心の中で彼女に言った。
彼女は無表情で彼の腹を刺した。何度も何度も差した。その場にいた仲間は動けずに叫んでいた。
何十回も刺した後、彼女は見下ろしながら彼の傷口を踏みつけた。かろうじて生きている彼は苦しそうに呻いた。虫のように呻く彼を彼女は罵声を浴びせながら踏みつけた。心から笑っていた。僕も笑っていた。
彼の血にまみれた手が彼女の足を掴む。目尻からは涙がこぼれていた。
携帯電話が鳴り僕は現実のような夢から覚めた。仲間からだった。僕は彼女の声に違和感を覚えた。呂律が上手く回っていない。濁った声だったからだ。
耳に入る言葉に僕は頭を真っ白にさせた。
僕はナイフを手に取った。
彼女はナイフを手に持っていた。
逆手に持った。一直線に振り下ろした。
望んだのはこんな結末じゃなかった。どうしてこんなことになったんだろうか。僕はただ、彼女はただ当たり前がほしかった。
ただそれだけだった。
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